父親たちの星条旗

も見てきました。
矢張り二部作というからには、両方の視点の2作品とも見ねばと思いましてね。
此方は、戦争に見える現実的な問題、金の世界が良く見える作品であったなと思います。
同時に、何処まで行っても人は自分と違うものを見下すものであると言う事も。
戦争において、兵士は使いべりのする消耗品扱いです。足りなければ集めて、それでもダメなら、絶望的な状況でも将棋の駒のように進めと言われる。金も同じ。
社会は、金の流通で動いています。結局の所、何もかもお金が中心でした。命の価値は低い。
大衆を自分の理想とする方向に動かすために、報道というものは限りなく有効な手段であり、人は集まれば集まる程に無能になっていくのは見える一こまが切ない。
マイノリティーだけが正しいわけ出が無いし、当然マイノリティーであるのは正しくないだけのわけがあることもある。しかし、大多数意見であるからどうなのではない。
侵略者が、我が物顔で原住民が未だ地位の低いアメリカを見れば、その器量の狭さは感じられることでしょう。
しかし、私達がすべき事は、それが、皆にとって少しでも幸せであり、他者の事を考えられているかと言うこと。これは重要です。
最後に、この映画の英雄は、死んでいても生きていても、自らがそうたたえられる事を良しとしない。
何故なら、戦争における英雄は大概が大量殺人者であるから。別の側面では、大量の味方を救ったのかも知れないが、同時に沢山の味方の屍の上に立っているのである。
しかしそれは、政治家と教育と情勢と資本主義の上部の思惑で決定される。
道理も、理性も、狂気も何もかも、自分以外の歯車の意思は大きい。
逃れられない大きな力にあがらうのは、普通無理だ。