古書

過ぎ去る日々と言うものは容赦なく須らく適応される。
そのモノにとって時間の尺度がどうかなど些細な問題であって、時は確実に動いている。
動いているという感覚も真実時という概念を言い得ているとは思えないがそれでも綿々とある今が現在である今に存在している。
進んでいるのか、遡っていくのか、停滞と急峻に揺れているのか、それともその意義自体の位置づけを変化させているのか。
それは、凡人たる私には理解が及ばぬが、今私の目の前にある本が昭和二十三年から存在しているという事を不思議に思う。
いや、存在し続けているという思いも昭和という時代を感じる心も、そして過去という価値観を持っているのも私的なものの見方であるのだが、兎も角不思議なのだ。
此処に本があると言う事、活字が印刷されているという事、古書として売られていたという事。
全てきっと起こった事であり、今私の手に渡るまでどのような年月と出来事が過ぎ去ってきたのだろう。
思いは文字に宿り、薄汚れた紙面にさえ時代を感じさせる。
しかしながら一冊1500円と私にしてみれば結構な出費であるが、何とも興味深く尚且つ楽しい時間を過ごす事ができ有意義であった。
そして思うのである。人は何時の時代も無い物ねだりをするものであるらしい。
裕福を、平和を、力を、退屈を、スリルを、恐怖を―――――。
世の中難しいものだ。
極端から極端に走る世界に人は、何とも恐ろしい。
何を信じようと、何を信じまいとその結果何かを排斥しようとする時、世は恐ろしい事で満ちるのだろう。
神と言う名を大義名分に掲げる戦いは古今東西枚挙にいとまが無いし、己が信じる幸せを追求するあまり戦う事もあるだろう。
同時に自らを守る為に戦う事もあるだろう。
きっと何もかも正しくて、何もかも間違っているのだ。
――――――憂鬱とした気持ちは伝染するらしい――――。