はてさて

とある裁判のニュースを見ていて、何とも違和感を覚えている所です。
とは言え、その裁判のニュースだけの問題というのでもないのですけれど。
住民激怒とか住民落胆とか、そんな文字ばかり踊っていて、判決に安堵している住民や喜んでいる住民の事は一行たりとも書かれていない。
いや書かれていたとしても、小さく小さくでしょうかね。目に留まらないと言う事は。
裁判の結果に文句がある人、反対意見、疑問がある人が居るのいう報道は、そういった方がいるのならするのは間違っていないと思いますが、その事に肯定的な人間がいる事も当たり前に報道すべきだと思うのです。
どうしてか、個人 対 大企業 とか 個人 対 国 で戦って思惑通りにいかないと言った報道ばかり。
でも実際はそこまで単純な図式ではありますまい。
声を大にして主張している人間だけではないでしょうし、下手な事を言って”強い人たち”に何を言われるかを恐れている人間だっているかもしれません。
賛否両論、更に中間的な意見だって当たり前。
それを拾い上げる事はとっても重要だと思うのですけれど。
出来うるならば、詳細を理解しきれていない人間へと正当な情報が提供されるような報道機関が出てこない物かと、願っております。
それは当然、原告、被告両者にとって中立であるべきで、どちらが悪いを決めるのは裁判所です。
思いを書くのはいけないとは言いませんが、その言葉に世論が動かされるかもしれないという重大な責任を感じて頂きたく思います。
大事な大事な役割を担っている報道機関。
貶すだけでなく、その先を皆が”考える”事ができるようなそんなのが理想に思えますが、難しいのかなぁ。