創り出す、学び取る、そしてまた創造する

化石燃料に依存した技術を進歩と一概に定義して良いかは、千差万別の思惑があるでしょうが、技術の創造には土台となる技術や知識があって初めてインスピレーションを現実をするのだと、私は思っています。
知らないからこその発見も当然あるでしょうが、想像できれば簡単に物が作り出せるとは限りません。
古きを諸手を挙げて迎合する事も間違いなら、新しきも同様だとは思いますが。
確かに賞賛に値する古い文化は多数ありますし、それは突破口のように思えてならないのも事実ですが、それで世の中立ち行くかと問われれば、首を傾げずにはいられぬでしょう。
新しい文化や分野は、兎角分からない事が多かったり、分かっている人間が少数派だったり、間違った情報を鵜呑みにしたりと多種な要因の複合のせいか、建設的意見よりも非建設的意見が大きく取り上げられます。
不思議な効率化を推し進めるが故に、建設的部分がとても希薄になったような気がする此処最近を鑑みると、悲しいと同時に別の意味ではチャンスなのではないかとも思えますが、それはとても気力がいる事でしょう。
私のような中途半端な知識を持った人間が、知ったかぶりや間違った思い込みで”話し合いにならない”なんて場面は枚挙に暇がありません。
とは言え、現代のわが国のように学ぶ事も考える事も自由に出来るのに、あえてそれを放棄しているのであれば、それは怠慢と冒涜なのかもしれません。
まぁ、知識を持った人間でさえ自分の持論に凝り固まって話し合いにならない場面が多々あるのですから、一面ではそんな事さえしょうがない部分もあるのかもしれませんが、ね。
私のような人間は、日々精進せねばと思いながら遅々としてその思いが成就しない点が問題でもあるのですけれど。
難しいですねぇ。