統一地方選挙が近づいてきましたが

さて、日本の未来は何処へ向かうのか、と個人の思惑で事を大きくするのもなんですが、期待を裏切り続けている議員にはちょっとばかりキツイお灸を据えてやりたいものです。
が、事はそうそう上手く運ばれる事は無く。
ここ最近話題の議員宿舎問題は、怒りよりも寧ろ悲しくなってさえきてしまいます。
まぁ、最近は失望すら茶飯事の如くで、あまり期待すら抱いていない人も多いかと思いますが、何も変わらないのなら苦労するのは今の人間はもとより未来を生きる人間です。
今の苦労だって何も今現在だけの問題ではありません。過去からずるずると引き摺ってきているのは数多あって、気が遠くなりさえします。
一朝一夕で解決する問題だけではありませんし、日本だけの問題だけだというわけでもありませんから、しょうがない所もあるにはあるんですけどね。
で、今日は議員について、ちょっとばかり極論に走ってみようと思います。
真面目にやっている方には申し訳ないですが、日本の進む先が見えない今を作り出したのは間違いなく国民と議員であって、自分が出きることを何かしら考えるべきです。
さて、”お仕事”を色々抱えていて、頻繁にテレビで何かを語る程”暇”ではないはずの彼らのお仕事は公僕。
そうです。言葉は悪いですが、彼らは国民の公なる僕のはずなんですが、先生先生と呼ばれ、何かを勘違いしているように感じられますがし、多くの世襲制議員が幅を利かせているのにも…。
本来、理想論で言えばお金儲けをしたい人は公僕になるべきではありませんし、国を良くしたいと真摯に思う人間でなければ勤まる仕事ではないはずです。
何故ならあの人らの給料が一般の資本主義社会に生きている人々と同じように稼がれたものではなく、人々の納める税金を得て行動しているのですから、極論なら国の害になる人はいらないのです。
とはいいますが、此処ら辺は社会を生きている人たちの色々な思惑が交差する所なので、各々考えてくださいな。
私の今の最大の感心事は、卑しくも基本的な”お金”の事です。
度々話題になりながら、抜本的には何一つ解決していかないわが国の借金。
それなのに海外に対する散財はもとより、議員一人にかかる税金は馬鹿になりません。
議員一人を維持するのに年間六千万円以上(秘書等の給与約二千三百万含む)だとかいいますし、これは直接費だけであって間接費は含まれていませんから、実際はどこまで膨らんでいくのか想像さえしたくないくらいですね。
寧ろそんな金よりも借金を返す事や、司法解剖の予算を大幅に増やすべきだと思います。
必要な所にはお金が廻らないのに、彼らはなんとも金回りが良く潤っている事でしょうか。
…ちょっと一方的ですけどね。