喪失して分かる、事の大切さ

先日からの体の不調で、水も飲めず当然物も食べられない数日を過すと、如何に何事もない日々が大切かと思い知らされます。
水を思い切り飲む事のできる幸せ。食べたいものを食べる事のできる幸せ。
これらは、体の調子が悪いだけでなく、社会の悪環境でも関係してくる問題ですが、自分がどれ程恵まれているのか再認識しました。
そんな日常も、崩壊の危機がある昨今の環境問題ですが、遅々として具体的な話は進んでいきません。
・これ以上、今の状況で化石燃料の燃焼を主体とした産業、文明基盤を持続していく事は自殺行為である
とは言え、急速な方向転換が出来ないのも人類が大きくなったが故に仕方がないところがありますが、解決策となりそうなものを自ら捨てるのも人類です。
例えば、核融合原子力も然り。勿論、反対運動結構です。が、世の中、それでは滅亡です。
悲観的に見るならも余裕の無い世界に、悠長な事は言っていられません。此処まで後手後手に廻った人類には手段を選ぶ時間も余裕も無いとも見えるのが、切ない所。
反対意見も多々あるかと思いますが、アメリカの研究チームの発表では2040年の夏には氷が一度ほぼ全て解けてなくなるとか。
ここにきて、今までのツケ、全部一気に返さなきゃならない感じの人類に未来はあるのか?なんて胡散臭いテレビ番組の如く煽りを入れてみたりしつつ、自分に出きることはやらねばなぁ、と思う日々。