「携帯電話の番号ポータビリティ制度」

携帯電話の電話番号持ち越しのキャリア変更が可能になりましたね。
とは言え、直ぐに変えようかとは思えないのが現実。
別のキャリアにしてもいいが、何分長期に使ってきたが故の割引サービスに、今一歩足を踏み出す気持ちになれないのである。
そしてメール・アドレスの話もあろう。何せ@以降は今契約しているキャリアの名前であるのが携帯電話のメール・アドレスであるから、MNPはイクォールメール・アドレスの変更である。
ともあれ、私は携帯電話をそれほど活用している類の人間ではないから、何処のでも言いと言えばいいのだが。
さて、話は変わるが、今回の携帯電話のMNPもそうだが、規制緩和が最近持て囃されている。
なんでも自由化すればいい事のようにマスコミでも騒ぐし、お偉い人も仰っている。
が、まぁ、都会の方々はそれでもなんとかなるのだろうが、私のような田舎の人間はそうもいかない。
何せ元々事業していくのに赤字になるのが当たり前のような土地である。人口密度が低いところに持ってきて、利用料金等は上げていないのだから当然だろう。
では、自由化して利潤を追求する為に先ず切り捨てるのは何処かといえば、田舎である。
老人が多い山間地域等が狙い目だ。郵便も行き着く先はそうしかない。でなければ、局員を養う金を創出するためにも利用料金を上げる必要があろう。…これは、全国規模の±を考えていないために極論になってしまっているが、構成の大きい小さいの違いであって言ってみれば同じ事である。豪い学者さまがどんなに計算して大丈夫だと言ってくれても、実際既に規模の縮小が始まった田舎からしてみれば、ふざけやがっての一言に尽きる。
が、自由化しても郵政などは法律の規制がかかる。NTTの固定電話ボックスのように、どんなに赤字だろうと、何キロ以内に必ず一台設置しなさいなどといった”民営化された国営企業”の赤字は当たり前である。
もともと安価で均一なサービスをする為に国営である必要があった訳で、自由はそのマイナス方向の効果も多大に世間へと与えるのである。
安い事はいい事だが、必ずしも安いだけがいい事ではない。
そのバランス感の無い今の日本はどんどん住み辛くなっていくように感じるのである。