見えぬ何か

私はよく此処にエネルギー問題についてや二酸化炭素について書いたりする。
もっとも、学のない私の戯言だから、間違っている事も多分にあるだろうし、考察している方向性自体が見当違いの可能性もある。というよりも、そうであって欲しいという面も捨てきれない。
自然エネルギーを利用するというとても有意義な事の裏に、電気を発電するダブルコスト(安定しない自然エネルギー分の電力を常に想定した出力の安定した発電施設が必要だという事)が潜んでいるのも周知の事だ。
二酸化炭素が増える化石燃料の消費にも歯止めはきかない。
原子力というものも、高速増殖炉がまともに稼動するようになって初めて一定期間のエネルギーを供給するに足る位置づけになるだろう。
燃料電池の問題は、その代表的な水素と酸素で考えると、その水素をどこから持ってくるかが問題だ。
天然ガスを水素へ改質する等がよく聞くが、結局のところ”天然ガス”という資源を使用するわけである。
二酸化炭素の排出のみに限っては中々素晴らしいものであるが、枯渇しかけているものをこれからの主力に考えるのは難しい。
原子力にしても、根本的にはそれと変わらない。結局、人間は資源を浪費していくのである。
では、他の自然エネルギーはと言えば、今そのトータルバランスを無視した設置を進めるのなら、安定したエネルギーの供給は不可能だろう。